旧友との再会

人生とはいかに素晴らしく、また非情なものか

小学校は越境通学。
中学・高校は電車通学だった。
しかも家から約1時間の道のり。
当然のごとく、私には近所の友人というものは居なかった。


オチャメで寂しがりやの私にとって、近くに話せる友達が居ないということは人生にとっての最初の大きな試練であったのではないかと思う。


そんな生活をしていると、どうしても一人遊びするしかなくなる。
小学校時代、野球はブロック塀のブロック2枚分をストライクコースに見立てて延々投げ続ける。疲れるとブロック塀に対してサインが違うじゃないか、次はインローのストレートな...なんてジェスチャーしてみせたり。守備から攻撃に変わると、バットを持って旨の高さまで成長した雑草相手にスゥイング。一試合が終わると中途半端な高さでグンなりした雑草だらけになる。しかし相手も雑草。2〜3日で元気を取り戻して私を待ち構える。
どこまで行っても一人遊び。
これでうまくなるはずがない。(笑)


中学に入ると更にこの状況が加速する。


学校から帰るとすることがない。一人野球なんてバカらしく、仕方なく犬と一緒にサイクリング。途方もなく遠くまでアテもなく出かけるだけの毎日。

しかし、よくよく考えれば級友もすべて同じ環境にあったわけだ。

地域の中学や高校に入った人達と比べて暇はかかるが友達づくりがはじまるのは時間の問題であった。



クラスの仲間やクラブ活動....冬の雪が春の要綱に溶けていくように、友達のわができていった。しかし....なぜか自分自身では虚像の世界の出来事の様にとらえていた。「何かが違う...何かが...」

それは以前少し書いたが、「資本主義」の恐ろしさであった。関西でも一二を争うおぼっちゃん学校。何をするにもお金がつきまとうことになる。
しかし、実際にはお金の有る無しではなく、「心の裕福さがあるか否か」ということであったのだが。

こんな簡単なことに気づくのにその後10年ほどを費やした。(笑)
学生当時は「お金のないこと」を天を恨んだりしたが、その後大人になって旧友に再開する度に80%以上の友が一生懸命背伸びして「裕福さ」を演じていたことを知り苦笑いをしたものだ。



3月のはじめ、香港時代のバンド仲間「aRyo@灘」さんと久々に大阪で呑んだときのことだった。
彼の行きつけのジャズライブハウスでありまた、私の旧友、関君の経営している「ロイヤル・ホース」に繰り出すこととなった。
関君は二代目オーナー。関西の音楽シーンでも知恵袋として活躍しているそうだ。

嬉しいねぇ、そういう話を聞くと。

で、酒を出すお店であるからして旧友が結構集まっているのでは...と聞いてみた。
出てくる出てくる頑張っている友達の名前が。
嬉しいじゃないですか。
中学・高校時代、弱いながらも喧嘩となると3学年ほど結集して数を頼りに周囲の学校をねじ伏せてきただけあって、心のつながりが違う。そこには裕福であろうとなかろうと、硬派であろうとなかろうと、○○が××であ
ろうと、たかだか一学年160名程度、3学年でも500名弱の人数ですから、たいていの人は顔なじみ。


旧友達のその後の人生を想像しながら酒を飲んでいると、出てこない名前に気づく。「○○はどうしたの?」と。


もちろん先にあの世の席を取りに行った友もいれば、病気にかかり寝起きすら辛い日々を送っている友、借金地獄でその日暮らしな毎日を送っている友もいるそうだ。


あんなに学生時代キラキラと輝いていた友が、その日過ごすだけでも辛い
日々を送っているとは...


裕福ではないものの生活できる収入があり、ぼんくらでも子供に囲まれ、
疲れてきてはいるものの愛する妻もいて...それだけで幸せであることを再認識した「楽しく、また非情さを感じた」数時間であった。


まぁ、ドラマなんかでもよくある話なのだろうが、この年になると旧友のいままでの人生が走馬灯の様に推測できる能力がついていることに驚くのだ。


やっぱり一度きりの人生。
大事に大胆に繊細にいきましょうね。