Zero

marktheshadow2008-03-07

零、ゼロ、数字の0


いやぁ〜Aから始まったアルファベットもとうとう最後になっちゃいましたァ〜


つぎからどうしましょ?!



と、そんな先のことを考えるのは私らしくないので、本日のお題"Zero"に戻してっとぉ〜



この前のブログタイトル"X&Y"でも触れましたが、万物にとって普遍の状態、いわゆるプラマイ・ゼロで平衡する状態はありえないわけですなぁ。



オギャアと生まれて、オッパイをもらえば当然成長するし、知能もついてくる。プラスの方向に動くわけでして。
そんな中、最近は乳幼児虐待なんて考えられないことをしてプラスに成長する力を持つ子供たちに食事やオッパイを与えずマイナス方向に引っ張っていく大人達がいる。


一生懸命小さな肺を動かして体積をプラス・マイナスに動かして、効率よく摂取した食物を小さな内臓で消化吸収し便という形で排出するプラスマイナスの活動を行い、まだうまく機能しないものの小さなつぶらな目や耳互換をフルに使って一生懸命周囲を認識しようと脳の中で記憶・まとめ・消去を行っているのにも関わらず...


全てが大人のエゴ。中途半端に豊かさを享受してきたからでしょうか。「分け与える」「お互いを尊重する」という意識が低い。


[と、こういう社会的なネタは私らしくないのでこの辺にしてと...]


しかしまぁ、「Zero=無い」という概念はすごいですよねぇ。


「無」ですからねぇ。


この年になってもいまだにこの「無」という概念が理解しきれていないんですよねぇ。(苦笑)

例えば死後の世界。体は無くなり、魂=意識?だけの存在になる。
って分かるような全然分からないような...

宇宙に空気は無い=真空。これは理解できる。ならば地球上の空気が宇宙吸い取られるはず。自転や公転もしているんだから遠心力もあるから空気が無くなっちゃってもおかしくないはずなのにねぇ。しかし「重力」のお陰でそうはならない。これって「重力>無」ってこと???

まぁ、空気がない=力もないってことにしちゃえば納得いくわけですが...
(結局は思考停止かい!!(笑))


しかし、このゼロの考え方にも色々ある。
有る・無しという意味のゼロは良いのだが、摂氏0度などで使うゼロは「単なる基準点としてのゼロ」でしかないわけだからして...
元々の意味のゼロ=無とは異なる。
摂氏0度を境に完全に「熱い」「冷たい」と分けられるとか、空気や水の色が変わるから...なんて身の回りの現象で判別できるのなら分かりやすくていいんだけれどなぁ。


年号もまた然り。
西暦2008年ったって、誰かの気まぐれで始まった暦年数であり「0年に何か本当の意味があったのか否か」はまことに怪しい。
(あっいま、全世界のキリスト教徒を敵に回してしまったなぁ〜 ウソですからねぇ〜、ゆるしてぇ〜(汗))


神様の話に触れてきたのでもう一つ。
インドのシバ神もすごい存在だと思う。
元々は豊穣の神様なのだけれど、余りに無軌道に繁栄すると世界を無に帰す=ゼロに戻すという居ないと困るし、怒らせると怖いし...小学校の先生みたいな存在(笑
大黒様と同様な存在だとか...(違ったか?)
昔は努力して畑や田んぼを開墾したり、漁場を自然の摂理で管理したりしたものの、台風をはじめとした天変地異が起こり元の木阿弥に戻り、またせっせと畑や田んぼ、漁場の再生を行い...
まぁ、自然の摂理を神格化させたことが起源なんでしょうねぇ。


いくら工業化や近代化が進んだとしても、自然界に生きる私たちの周りには「Zero」に帰したり、マイナスになるのは当然のことと言えるのでしょうねぇ。


そういえば、私も人生の中ですでに「Zero」に戻ったり、マイナスの再出発をしたり何度も繰り返したっけなぁ〜


そう考えている矢先、また何度目かの再出発が始まろうとしているのですがね(苦笑)


結論

くじけず、心の中だけでも楽しくいきましょうよね!!