Value
価値、評価する、数値
人の価値って何なのだろうか...とよく思う。いまに始まったことではなく、幼い頃からずっと頭から離れないナゾの一つ。
このところ多い殺人事件ももちろん心痛いことであり気になるのだが、多くの人が書かれていると思うのでここでは省かせていただく。
まずモノで考えてみたら、
マーケティングでモノの価値をV=F+fとあらわすことができる。
VはもちろんValue=価格とする。
FはFunction=機能、本来の機能とする。
携帯電話で例えるなら、電話する機能はもちろんのこと、画質のキレイな有機ELディスプレー、カメラ機能の画素数の多さ、着ウタや電子マネー機能などの付加機能の多さなどで価格が決められる。
それに対してfはfancy=デザイン性となる。
使い手が目的を果たすために使用するモノは機能だけが満たされていれば良いはずなのだが、誰もがどこかで追い求めるのは「手になじむ快さ、操作性のよさ」や人と一味違った見栄えとなるデザインである。
携帯電話で言えば今年から始まるディズニー携帯がそれにあたる。
とモノは非常に判りやすい。
では同様に仕事で例えてみたらどうなるのか....
V=F+hなのではないかと思う。
Vを給与や所得としてのValueとする。
Fはモノのばあいと同じくFunctionのF。
ただし、成長の過程により式が若干異なる。①V>F 新人
②V=F 中堅
③V<F 管理職と、本来はこうなるのが理想的なのだろうが、日本人の大半は②の等式辺りで仕事人生が終わるのが情けないところか。かくいう私もそのコースの様だから、この傾向は確かだと思われる(苦笑)
では追加機能であるfならぬhはというと....hospitalityではなかろうか。
hospitalityを辞書でひくと「歓待、心からのもてなし」とあるが、要約すれば「気づかい」。
仕事の奥底の部分はわからないのしろ、上司の指示に従って日々行動し、社員としての「機能」をまっとうすべく我々は働いているが、そこに「気づかい」があるとないのとでは成果が全く異なってくるもの。
まぁ、日本人社会特有のものかも知れないが...(笑)
気が利き有能な部下は本当頼りになるものである。
それでは、人間個人としてはどうなるか。
人間の価値をVとすると
V=F+e
ではなかろうか。
Fはこの場合も機能
eは「情」である。
Fの「機能として、人はそれぞれ「子供」「少年」「青年」「彼・彼女」「親」「オジ・オバ」「小姑・姑」「祖父・祖母」といった年齢からくる機能を持っている。
ここでふと自身に対する不安がよぎらないか?
私だけかも知れないが、はたして私は人間の機能としていままでの各年代の機能をもっていたか、また機能が発揮できていただろうか。
及第点も危ういかも知れない。
もっと人間としてよい昨日を身につけなければ...
話を元に戻そう...
そしてeの「情」
目に見える機能だけでなく、その機能を更に効率よく発揮させていくのが情。
人間としての機能は言い換えれば「愛」であり、それを影から支えるのが「情」といってもいいのではなかろうか。
と書きながら、ますます落ち込んでいきそうな私である(笑)
やはり愛情なくしては、人間としての基本的な価値を創造できず、日々生活の糧を得るために行っている仕事も「愛情」までとはいわなくとも「その人の立場を理解し考え行動できる」有能な人にはなれないんだなぁ。
あ〜、いかんもっと勉強せねばなぁ...
[とへこんで今回は終わり(苦笑)]