遠くなっていく風景

もの心ついてからすでに数十年。
人生の半分以上を生きてきた。


一体何人の人と出会っては別れ、いくつものイベントが通り過ぎていったことだろうか。



別に戻ってこない過去に対して悲しんでいる訳ではないのだが、私の人生の各パーツを作ってくれた膨大な数の人々とイベントに思いをはせると、改めて感謝の念を感じずにはいられないのだ。

もちろん悪意にまみれた人々もいただろうし、そういう目的のイベントもあったのは事実。しかし、結果的にはそれを乗り越え人生の教訓として私の心や記憶に刷り込むことができた。もちろんその後同類の惨事には会わずに済んできたのではないだろうか。


昔恩になった偉大な経営者に言われたことがある。
最初の会社を辞めるときに挨拶に赴いた時に頂いた言葉だ。

「人間は会社とか立場というレッテルで日々の生活をしている。そのレッテルを変える時(転職など)いままで付き合ってきた人々の殆どと付き合いが切れる。3%ぐらいの知り合いが次も付き合いしてくれれば良いと考えなさい。決してその他97%の人を恨んではいけないよ。」

考えれば、サラリーマンになって3社ほどに勤めた。しかもいまの会社では日本→香港→日本と実質+2社分の移動。概算5社分に相当する人々と出会い分かれてきたといえる。そのたびに仮に500人とすると...2,500人。
いやサラリーマン以前のフリーター時代を入れると、きっと5000人近い人々と何らかの接触を持ったものの、お互い深く知り合わぬまま傍らを行き過ぎたのだ。


そしてそういう人々と街で出会っても、ほとんど気づくこともないのだろう。


そういう人々に支えられてきたのだ。遠くなったものの、その人達ひとり一人の腕が連綿と繋がり私を押してくれているのだ。


だからこそ私には前向きに楽しく生きなければならないのだ。
そういう使命の元に私の生命があるのだ。


私は大声で叫びたい。
生きるぞ。皆の幸せのために。皆を喜ばせるために、この人生をかけて!!




などと大げさに書いてはみたが、要は自身のオチャラケ性格を肯定しようとしているだけか?(苦笑)