他人と身内の一線
私の場合、一度でも和気藹々と呑めば身内かなぁ??(笑)
何を基準に身内と呼ぶのか人様々だろうけれど、案外深くは理解できていないもの。夫婦にしても然り。
元々他人の関係の二人が引き合い(書類に押印し)共に生活している状況を夫婦という訳だが、たまに見えていなかった互いの部分にギョッとなることがある。
言い直せば
元々他人の関係の二人が引き合い(書類に押印し)共に生活し、互いを理解する過程を夫婦という
ということになるのだろう。
ということは、婚姻関係でもない友人知人ならば「裏切られたり」「がっかりしたり」しても当然の関係であるといえる。
問題はそこから。
それでも「知り合おう」と思うか、「縁を経ち、もう同じ過ちを繰り返さぬ様付き合いもすぼめていく」というのか。
私の場合は前者。
とにかくお付き合いは誰とでも気軽に広げる。その輪が輪を呼び収集のつかなくなるときもある。しかし、そういう輪もいつかは淘汰される。
面倒になる人、諍いを起こしちゃう人。去っていかれればそれまで。
逆にこちらが疲れ、しばしリタイアする時もある。(笑)
しかしまたカムバックする時もあれば、付き合いが再開する人もいる。
全ては気分と自然に任せ、ムリの無い関係を断続的にでも続けていくこと。それが私のバターン。
つきつめれば夫婦と一緒。「友達なんだから!!」なんてむさ苦しい言葉で関係をつなぎとめておけるのは学生時代だけ。大人になればそれなりに自身の生活があり、仕事があり、家庭がある。互いに知り合えるチャンスを有効に使うことが大事かと思うのだ。ケンカをするのも知り合う一つの形である。だから、顔をあわせない期間があるとしてもそれは、相手のことを考える時間と思えば良い。自ら「一生奴とは話もしない」などと決め付ける必要はないのだ。たとえ決め付けたとしても運には逆らえなのだから。
そう考えると「他人」とは「まだ知り合っていないだけの身内」と考えればよいのかも。
ワァ〜まだまだ呑まなきゃダメってことだよねぇ〜(苦笑)