存在
Cogito, ergo sum
最近のニュース、ロクなものないですよねぇ。
とくに日本の犯罪って「自分勝手」な幼稚なものばかりと感じてしまう。
テロや戦争を肯定するわけではないむけど、「止む無く」とか「純粋な気持ち」という原動力を持った人々が介在している訳であり、立場が違えば紙一重的な怖さ、自分も加害者になる可能性を感じるだけに考えさせられるものがある。
しかぁし、日本の犯罪...ちと違いますよねぇ。
腹がたったからやった、なんてぇのが実に多い。
- 自分を無視したから
- 悪口を言ったから
- いうことを聞かないから
なんていう=自分の存在を否定した=と勘違いしたことが原因だっていうから驚いちゃう。
確かに誰もが無意識のうちに「自身の存在」に対する阻害要件に対して防御本能を持っている。
曰く危険に対する生存意識、例えば直接死に直結する状況ではなくとも「死」とは何か考えていく中で必ず通過する概念がある。
死=自身の存在[記憶と思考]がこの世に存在しなくなること
自身の存在に関して、体という物質面は置いておくとしても、精神という面=記憶と思考がなくなること=「生まれてきた価値」さえ無に帰することに圧倒的不安を感じる訳だ。
こういうことを全ての動物は無意識に知っている。だからこそ防衛本能と第六感という危険に遭遇しない術を遺伝子として持っている。そして弱肉強食関係の相手についても自身と同様に1個の「存在」として認識している。
人間の悪いのは「防衛本能」を勘違いの場で発動させてしまうこと。
もっといえば、危険に遭遇しないようにできるにも関わらず不用意にそういう場に存在してしまうこと。そして相手の存在はどうでもいい...
まぁ、こういうこと考え出すと色々あってこちらが腹たってきちゃうけれど、とにかく一人ひとりがもっともっと考えなきゃいけないですよね。
我考える故に我あり。
今日は何を書きたかったんだっけ?!(笑)