音楽のすすめ

marktheshadow2007-06-20

音楽は人の心をつなぐ

これは本当そうだよなぁ〜と思います。
遠く昔は、高校生時代。
もう30年以上も前になってしまいましたが、詰襟の学生服を着だしてから音楽に目覚めたのです。
音楽はボーイ・ソプラノベースのファルセット(裏声)でフレディー・マーキュリーにも負けない音域を誇った私は、中学時代音楽の先生に可愛がられたものでした。って、すっごい恐いおばあちゃん先生でしたが。


でも悲しいかな変声期が到来すると、高音を張れなくなったフィンガー5よろしく、音楽の舞台から消え去るしかなかったのです。


そんな頃目の前にあったのが兄貴のガットギター。なんとなく見よう見真似でコードを弾いていたら、それなりに音楽に聞こえる。が...よくあるバターンでFコードだけまともに鳴らない。ここでよく挫折する人いますよね。
私の場合「ギターのせい」にしたのですよ。(笑)

ちょうどフォークソングが流行っていた頃で、TVの中で使われているギターはフォークギター。きっとこのギターを手にすれば自分もかなりすごいギタリストになるに違いない!! なんて信じてね。(笑)

で、初めて通信販売で安いギターを購入。

それが今日の写真。(写真はギブソンの高いギターですが)


これが....結構いい音出たんですよ。安い割りに。しかも苦手だったFコードだってバンバン弾ける!! 思い込みって大事なんですよねぇ〜!!!
(こんな無謀な購入でこの後何度大変な目にあったか....(笑))


でお定まりの様にバンド開始。
なぜかお坊ちゃん学校(男子校)に通わされていた貧乏人の私は、友達間の暗黙の了解では「中の下」集団にいたはず。無視までされないものの、いわゆる別に気にもされない存在。


それが....ギター片手にバンドを初めてから人生が変わった。


同級生...いえいえ学校の皆が注目する存在になったのですから、びっくり仰天。
これはちょっとオーバーかも知れませんが、当時の私にとってはそれぐらい周囲が変わったのにビックリ。

しかも...驚くなかれ、多くの女子高の女の子が毎日同じ電車に増殖。降りる駅でも一杯!!
「こりゃ音楽やめられないなぁ〜」と浮ついた気持ちで将来を考えたものでした(苦笑)



高校の終わりごろ、なぜか親父がいくべきツアーに突然借り出された私は初のフィリピン旅行。
言葉が通じたら面白いだろうなぁ〜、と思いつつもまだまだ子供。自慢の英語で十分通じるのに引っ込み思案でいてストレスが出てきたのでしょう。とある山間部のレストランで昼食となったときに、ステージの端に立てかけてあったギターを見つけてなんだかホッとしちゃった。近寄くとったら、現地の子供たちが「兄ちゃん弾けるの?」とよってくる。
たいしたギターでもなく、飾り程度のものでしたが、同じツアーの大人達の「やれやれ!!」と促す笑顔に押され、おずおず弾き語りをしたら....「受けた!!」


なんてことない当時流行りった、かぐや姫の曲などを中心に調子はずれのギターで弾いただけなのですが...


「音楽っていいな」この時本当にそう思ったものでした。


その後も、アメリカに行っては同世代の女子大生の前でギターの弾き語りをし、香港では池の傍にたむろしているパキスタン人や香港人の前で弾き語りしたり...奇妙な目で最初は見られるものの、相手も一生懸命に音楽として理解しようとし始める。こうなると何か会話が生まれ、一緒に呑もうなんてなるからアラ不思議。(笑)


私にとっての「第1外国語は音楽」なのかも知れません。


言葉であるか否かは別としても「縁を作ってくれるコミュニケーションの手段」であることは事実。


音楽が趣味ということで始まった様々の人との輪。たとえば、ここにたまに出てくるbo-koさんとの出会いもそういう会話から生まれ、サックスのaRyouさんはじめ縁がどんどん大きくなったし。兄弟みたいな縁が続いている香港人Jessも会社の面接時に音楽の話が出たのがきっかけ。そしてbo-koとaRyouさん弟分Jessとの冗談から始まったバンド結成が形を変えて香港ライブ実施となり、色々な人との出会いをまた作り出してくれたし。


音楽がなければ合えない人、分かり合えない人に導いてくれたのです。


そして、いまもまた新しい音楽プロジェクト...まだ文字にすることができない秘密のプロジェクトなのですが...始動しようとしています。


ちっぽけな街にあった、いまはもう誰の記憶にも無いようなちっぽけな酒屋の子せがれが、色んな国のいろんな人と出会って分かり合って、様々な貴重な体験を与えてもらった。


そこには音楽があったから。



幸せですよね。