思考力

こんな言葉あるのかな?



「どんな時・どんなシチュエーションでどんな内容について考えた?」なんて昔から聞いていた。
まず通常出てくるのは「いろいろね」。で、もっと聞き込んでみると案外「考え」ではなく「思い出す」レベルの内容でしかないことに気付く。


例えば「明日アレをしなきゃいけないなぁ...じゃ、今日中に○○を...」とか、「なんで電話であんなことになっちゃったのかなぁ? あの時にアイツが...」というような『事実の確認』や『記憶の確認』をしているだけで終わっていることが多い。事実私も「考えているか?」というと「考えていない」ケースが多い。「明日忙しいなぁ、かなわんなぁ」とか「わぁ、また金が要る。どないしよ?」などという『問題提起』『問題の明確化』までで終了...それ以上どうしようもない問題を頭の中に浮かべて「考えている」と思い込んでいるのではあるまいか?



「考える」というのは基本的に三種類に分類されると思われる。
(学者じゃないので、推論(笑))

  1. .反芻する....頭の中で、ある事柄・事象の概要を明確にすること。通常一過性で頭の中から排除されるが、回数を重ねるたびに瞬時に明確になる。
  2. 原始的検討...現在おかれた環境の中で瞬時の判断が必要な際、上記1.の反芻による類似例の検索フィードバックを基に最善の決定を行う。
  3. 熟考する.....関連性の無い行動をしながらの検討ではなく、集中して考える環境が必要。


1.は動きながら頭にボォ〜と浮かぶ「あっ、思い出した!!」(でもすぐ忘れちゃう)(何度も思い出したことを覚えている(笑))ってヤツ。
2.は生命の危険など「切羽詰った状況」の判断の時ですよね。これも考えたとは言いづらく、どちらかといえば「無意識で○○してた...」なんていうヤツ。
3.が本来の「考える」というヤツではないかと思うわけです。

1.2.と全く違うのがその状況。
「書く」「記録を読む」など、目からの情報をメインに頭の中で分析するという違いがある。
もちろんそういう状況じゃなくて、頭の中で考えるっていうこともあるでしょうけれど、最終的には文字にしてません?
コンピュータ関係でいえば、1.がフラッシュメモリーなどの様に一時だけ記録するメディア。2.はそれを差し込んで使用するiPod。3.は演算しつづけるコンピュータ。それぐらいの違いがあるのですが、すべてひっくるめて「考え」といっちゃってる。



で、何がいいたいのかというと、ブログの効能はすごいと思うわけです。

2007-03-26 ブログのある生活 に書きかけてかけなかったことは「ブログのお陰ですっきりした生活」をおくっている人が多いのではないか? ということです。仕事や生活の重要なことなら手帳に書いたり、記録に残ったりしていますが、「その日感じたこと」なんていう何にどこに影響するかわからない、一過性の出来事気持ちって記録になかなかならないもの。
事実「ん〜、なんかこんな感じ前もあったなぁ〜」なんて思うものの、理路整然としない。


ところが、ブログに書くことによって記録となり、目で再度確認してアップするわけですから記憶になる。1.より明確な行為を毎日していることになります。フラッシュメモリのように揮発性のメモリーではなく、CD・DVDの様な半固定式のメモリーとなっているのです。

「自分に関する記録を残す」っていうと、昔は学者とかモノ書きぐらいなもの。民は「その日その日を平々凡々と暮らす」それだけで良かった。


ところが、いまや世界中の人が記録を残し、また別の人の記録も検索し、互いに情報交換して、考えをどんどん深めていく。
これってすごいことじゃないですか。

文字文化でいえば、石器時代の絵文字から「記憶を残す」ということが始まり。象形文字・原始文字を介して現代の文字文化が花開いた。情報と思想・考えが高次元にジャンプアップした訳ですが、現代のブログ文化はインターネットの最たるものとして機能し、いままでの文字文化とは全く異なった次元の文化に昇華しつつある....訳ですよねぇ。すごい時代に生まれて幸せ!!!!



と、思いきや....これは逆に難しい分岐路の時代に生まれたことにもなるのではないでしょうか?
下手にこのブログ文化が方向性を見誤って進んでいくと、いままでに例を見ない「思想操作」などにも発展しかねない。



怖さもあるわけですよ!!



まぁ、そういう悪い方向にはならないと信じてはいるものの、我々一人ひとりのブログ内容も、当然責任を持たなきゃならない。



そう考えたとたんこんなブログを続けるのはヤバイと思ってしまった私です(笑)