感じる処が違うの...
こんなタイトルもエッチぽくていいよねぇ〜(笑)
二日間、香港時代の元部下たちを連れて伊勢・鳥羽あたりを巡ってきました。
いまの感想?
「メチャクチャ疲れましたぁ〜」(笑)
というのも、ある程度の年齢層(40歳前後)で『場慣れ』しているのと、完璧ではなくともそれなりに日本語が理解できるので、自分勝手に動く動く(苦笑)
しかも香港人は無類の『写真好き』民族でもある訳ですから、どこに連れて行っても各駅停車。
今回初めて伊勢の内宮にも連れて行ったのですが、はっきり言って私も小学校の修学旅行以来30年以上ぶりで余り自信がない。
『天皇主義』みたいに感じられてイヤなムードになるかな? なんて少し気を遣っていたのですが、彼らにとっては何でも面白いみたいで...
「バス停から所要時間約30〜40分」とツーリスト会社から聞いていたものの、まわるだけでキッチリ60分掛かりました。
彼らにとって「大きな御神木」「大きな鳥居」「きれいな川」「古い建物」全てが奇異に映る様で、各駅停車の大撮影大会になってしまうのです。
その度に「この木は何年経っている?」「このゲート(鳥居)は何?」なんて質問も出てくる。一人に解説している間に、いつの間にか集団は移動して何かに張り付いている...
でも、ここで思うのですよ。
「感じる処や方向、切り口が違う」って。
巨木に触れ、橋の欄干に腕を乗せ、川の水に手を浸し...何かを感じ取ろうとしている。そう、子供の好奇心というのかな? 下手に大人になっていない感性というか...
私たちが海外旅行した時ってこんな感じだろうか? と疑問を持ってしまう。
もちろん答えは「No」ですよね。
仕事の仕方でもいえるのかも知れません。
疑問を持ちながらも「何も影響しないから」、なんてデータの細部まで全部修正...あえてしない時もあるのでは?!
一歩立ち止まって、子供の感性でものを見てみることも重要なんだ...と妙に納得させられた二日間でした。
同時に、とぉ〜っても疲れた二日間でしたがね(苦笑)
5月21日のJunpeiさんのコメントにお答えした写真を貼ってみました。
何か見えますか?