霊を見る人って、精神的に未熟とか不浄だとか言われるけれど...





仕方ないじゃん、見えるんだもん!!(苦笑)





一番小さい時の体験は「麻疹」で倒れていたときのこと。
5才ぐらいだっちたろうか。
大好きだったお爺ちゃん・お婆ちゃんがずっと看病してくれたのが、いまも記憶に鮮明に残っている。



ところがだ、その時すでにお爺ちゃん・お婆ちゃんは死んでいたのだが。
そういやぁ、おばあちゃんの周りに色んな人もいた。
知らない顔なのだが、妙に皆優しかった。



その二十数年後に誰だか判った。
たまたま福井県に出張した私は、ついでに父方の先祖の家を訪ねたのだ。
知っていたのは電話番号と父の従兄弟にあたるおじさんの声のみ。
なんとか家を探し当てたものの、おじさんは遅くなるという。
父に言われた通り、おじさんが好きだという酒を持参したものの、知らない顔が並ぶ食卓で身を持て余した。


相手も同じだつたろう。知らない顔のおにいさんが突然やってきて、「僕新せくの○○の息子の××です」と入り込んで来たような漢字なのだから。


息が詰まりそうな状況を打破するため、トイレに立った。


昔の百姓屋、長い廊下を伝って奥にトイレ...いや厠がある。
左は仏間だろうか、白檀の香りがする。
香りに誘われて左を見た。
亡くなったお爺ちゃんの遺影がある。正直ホッとした。
「ひょっとすると、ココ違う家じゃないか?」と疑心暗鬼に駆られていたのだ(苦笑)


その周りに懐かしい顔があふれている。
明治風な凛々しい中年男性。飛行帽をかぶった戦闘機乗りの青年。海軍の帽子だろうかちょこっと乗せた青年....
なぜか涙が出た。
この家に入って初めて暖かさを感じた。



5才の麻疹の病床の周囲にいた人たちであったのだ。