少年のその後

死と直面する恐怖にアナタは耐えられますか?!




私には怖いものが一つだけある。





である。



死ぬこと自体が怖いのではなく、自分が「死ぬのだ」ということを理解しながら死んでいくことに恐怖を感じるのだ。
閉所恐怖症や暗黒恐怖症などを想起させる「無に対する恐怖」がそこにはある。



孤独を愛しながらも無類の寂しがり屋である私にとって、「自らが滅びる」ということ自体理解できても納得のできない事柄なのだろう。



大阪府吹田市にあるエキスポランドの「風塵雷神?」の脱線事故の犠牲者も恐怖を通り越した恐怖を感じたことだろうと思う。
私なら「自縛霊」になっても仕方ないぐらいの恐怖であったろうと想像し、身震いする。霊になっても精神的打撃で立ち直れないであろう。何度も何度も同じ数秒間のリプレイの中で永遠に悶絶するのだ。
JR三田線の事故...とくに先頭車両近くにいた方の恐怖を想像するだけで眠れなくなる。




そんな私にとって5月5日永眠したある小学生の壮絶な生と死は衝撃的であり、脳裏を離れることがない。
昨年2006年10月31日にもここで紹介させていただいたので参照いたたきたい。(検索でシジクレイで出てきます)

今年に入り、更に病状が悪化。

余命数ヶ月と診断が降りた。

抗がん剤に頼れば少しは延命できるものの、食欲も落ち気分が不快になる。
大人ならば死にたくなる辛さだという。



つい1・2年前まではサッカーでグラウンドを駆けていた少年が、肉を切り骨をそがれ、大変なリハビリを行いよやく伝い歩き程度しができることにも喜びを表していた少年。いや、最後には立つことすらままならぬ状態になりながらもサッカーボールに触れるだけでも笑顔を見せた少年。次第に体が言うことを利かなくなった少年に対して、ご両親の看病も壮絶なものがあっただろう。
そうしたご両親の愛情に支えられ、いつの日かもう一度グラウンドに立ってサッカーしている自分の姿や、大好きな大阪ガンバの優勝を目標に歯を食いしばって耐え続けた。



そんな少年の話を聞いた阪ガンバチームの選手達...とくに少年の憧れであったシジクレイ選手が少年を見舞ったり、ガンバの試合...少年の体が許せば遠征に連れ出し元気づけていた。

シジクレイ選手は日本にいるときだけでなく、海外にいるときも少年に電話をかけ続けたという。


そんなシジクレイ他大阪ガンバチームのメンバーから少年は「小さなメンバー」として認められていた。


少年にとってプレイできないもどかしさがあるねものの、憧れのスター選手達が同等に扱ってくれる光栄はいかほどのものであったか。



しかし余命いくばくかになった時、いままでと違う言葉が出た。



「お医者さんも治る言うたやんか!! もう治らないんやろ僕...皆ウソつきや!!」



言われた親は辛かっただろう。


言ってしまった少年は、もっと辛かっただろう。


少年の気持ちに気づき、親はまたそれ以上の辛さを感じただろう。


そしてまた少年はまた辛さを重ね...

少年の体が少し楽になれば、ウチの会社の農場やギターを教えてやろうと少年の叔母にあたる人と話もしていたが、それも叶わぬこととなってしまった。





少年が無くなってから、10日が経過した。
今日まで第三者の私が、聞き伝えの内容を書いてよいのか迷った。



しかし、私がこの話から感じたもの、いや違うもっと大きなものもあるかと思う。



何かを感じていただければと思い、書かさせていただいた。



お読みいただき、ありがとうございます。