五感のマジック

marktheshadow2007-02-09

目に見えるものが正しいとは限らない



こんなことを感じた方は多いと思う。



今日の写真は昨年末関東出張の折に、新幹線から撮影を試みたのだが...
ファインダー上はバッチリ映っていたのに、撮ってみると左端真ん中にチョコッとしか映っていない。

色もそう。

もっと神々しい白色だったのに、灰色がかって見える。



こういう時に「チェッ」と舌打ちをする方もいると思う。
しかし私は「人間の五感とはいかにすばらしいか」と思うのですよ。


まずは視野と実際の写真の画角。
人間の目には実は「一緒に見えていない部分でも一つの絵として認識する機能」があるようです。これは「一緒に見えるといいなぁ〜」という思いがそうさせるのでしょうね。例えば景色を見るフリしながら、実は目の端っこにしか見えないはずの異性の姿を拡大して見ていたり...
逆に「見えているのに一部が欠落して見える」ということもあったり。交通事故の際に「左右確認したけれど見えなかった」なんてことありますよね。

「見た(くな)いものを見た(くな)いように見る能力が人間になある証」ではないでしょうか。


団体の海外旅行で写真ばかり撮りまくっていると、決まって「日本人」といわれたものです。
(いまは個人で旅行する人も増え、余り言われなくなった様ですが)
その時に外人さんたちが首をかしげるのが「まずは目で楽しめばいいのに」「写真はその後」なんてね。
実にそのとおり。


感動や旅の疲れ、精神状態も大きく影響しますよね。


例えば。地図片手にはじめていく土地。その土地にまた赴かねばならない場合、道中を注意して覚えようとしますよね。
当然メチャクチャ遠く感じ、普通でない部分を探そうとする。
視界に映るもの全てが「記号」として頭に入り込んでくる。
言い換えれば「木を見て森を見ず」状態に近くなる。木を一本ずつ認識しようとする訳ですから疲れる。
ところが、その帰り道や二度目の時はどうでしょう。「おっ、結構きれいな景色だなぁ〜」なんて感激したことありません?
前にも書いたことですが、新幹線で夜帰宅する時って景色が見えない。しかし山深い場所で家の灯りがフッと見えると「あそこにも誰かの生活があるのだ」と、単なる蛍の灯りの様な点が美しく見える時すらあるわけです。同時にシチューの香りを感じたり...


「闇の存在とその中の点」...木も森も見ている訳です。


しかし景色を楽しんでいますから、帰りの時間も短く感じる。



五感全てそういう傾向ありますよね。

人間ってスゴイと思いませんか?