9年間........「天声人語」風に(苦笑)

「去年の今日何していたか?」なんて聞かれても、日記などという根気のいるものは当然のこと、手帳なども3ヶ月もしないうちに持ち歩かなくなる私。答えられるわけがない。(笑)

そんな刹那に生きるような人間であっても、覚えている過去もあるんですよねぇ。

1997年5月15日...そう9年前のこの日に私は香港カイタック空港に到着した。
まだその頃はちゃんとした日本人だったためか(笑)、クソ暑い5月の香港にスーツ姿で降り立った。噴出す汗にまみれていく己と南国調の衣類をまとい涼しげに行きかう人々との差に「エライところに来てしまった」と、その後何百回も繰り返すことになるセリフをこぼした。
翌日、最初の出勤だからとスーツを着込んでいった。が、迎えてくれた当地の人々はラフな格好。

正直、気が抜けた(笑)


幾多の精神的な苦しみを感じながら、「この地で約束の3年間が過ごせるのか?」自問したもののその後数年見つからない答えに悶々とした。


しかし、気がついたら9年が経過。(苦笑)


相変わらず広東語はほとんど身についていない私だが、それなりに現地の人々の中に入り、冗談を言ってはニコニコしている自分がいる。

年月は人を変える。私も変ったのだろうか?
9年前と比べて、すこしは人間として成長しただろうか?


年をとって少し気長になったことと、ルーズになったことぐらいか??
体の面では髪の毛が少なくなり、疲労を感じ易くなっただけだろうか??


ここで多くの友人・知人ができ、数多くの夜語り明かした。一人で生活している気楽さからであろう、友人・知人が喜ぶ顔を見たくて、数多くのイベントもこなしてきた。その中で多くの人と出会い、別れも数多く経験した。



香港だけでなく、日本で過ごした日々を通じて何度同じようなことをしてきたのだろうかと思う。滞在残日数が数えられるいまこの時になって既視感=デジャビュにも似たものの中に翻弄される。

戻る場所はすでに以前の自分が作ってきたものではなくなり、また「一」からの努力が必要となる。人間関係もまた然り。

逆に去っていく場はいずれ風化し「私がいた痕跡」すら砂嵐の様にきれいさっぱり拭い去ってしまう。
ある日香港に戻ってくるその時に、友人・知人はどれだけ残っていることか。慣れ親しんだ景色の中で溶け込めない異邦人としての自分を発見するのであろうか。
目に止まった懐かしい酒場に入り、酔った勢いで「昔はここでよく飲んだものだよ」と若いバーテンダーに人生の先輩面して語るのが精一杯になるのか。


年というものを感じる世代になってきたのか?
適当にしていれば良かったのか?
腰掛で短期で帰ってしまえば良かったのだろうか。


否、外面は無責任でC調な私だが、そういう生き方ができない不器用さも私の特質である。


日本に帰ったらしばらくは想い出の中で遊ぼう。
環境が変れば、次第に想い出は収まるところに収まってくれるであろう。
それだけが、いま読める自身の近未来である。

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7月のはじめには香港を離れることが現実になりました。
皆さん、永らくの間大変お世話になり、ありがとうございました。


後少しの間だけれど、もうしばらくの間お付き合いお願いいたしますね!!

合掌