タバコを吸う

昔から「百害あって一利なし」とはよく言われますがぁ〜
もう30年以上吸い続けているんだなぁ。。。


禁煙・嫌煙運動が高まって、昔みたいにどこでもタバコが吸えるというわけにはいかなくなりましたよねぇ。

そういう環境面以外にも、加齢と運動不足がたたり最近心臓・肺にガタが出てきたためか、知らず知らずのうちに本数が減りました。


昔は一日に20〜30本吸っていたのが、ウィークデイには5本程度。
しかも昔はピースやピースライトなどの美味しいけれどキツイタバコだったのですが。

変わればかわるものです。


最近の傾向について考えてみました。

  • 10:30の休憩時に1本 

     気分転換とスタッフ・ワーカーと顔を合わせるため

  • 15:30の休憩時に1本 

     同上

  • 帰宅の運転中に1本 

     一日の仕事が終了してホッと一息 

  • 夕食後に2本      

     腹がそこそこ膨れたときに、食欲をカットする目的で

考えてみたら「タバコが吸いたくて吸っているのではない」のですよね。
まとめてみると、「気分転換と食欲カット」の二つが目的になっているわけです。
ある意味、健康的なタバコと思いません?(苦笑)


これが週末となると大きく変わるんですよ。

何も予定がない週末は、1日まったく吸わない日が多い。
まぁ、よく吸っても夕食代わりに、家で呑んだときに吸う程度。


ところが、呑み会が入っている週末は20本以上吸うのがザラ。
確かに、呑みながら吸うタバコはおいしい=よく酔う=のですが、どうもそれだけではない。
自分自身を観察してみました。
皆さん宴会の時、こういうことないですか?

緊張を和らげるため吸う 開始30分で3本
会がはじまって、まだシラフに近いときは「何を話そうか」「どう皆さんから話を引き出そうか」「しまった、手土産のひとつも持ってくるんだった」「あの人の名前は...」などと、状況確認と同時に緊張しちゃいますよね。
駆けつけ三杯ならぬ、駆けつけ3本みたいに風呂屋の煙突状態になってしまうのです。

所在ないから吸う 開始1時間強ですでに6・7本
ようやく呑み始め、状況ものみこめた頃、皆の役割が理解できてくる。
「この人はあの人の旦那さんかぁ」「おっ、向こうでは○○の準備が始まった、手助けした方が...」「話が見えない、なんで皆笑っているんだ??」など、恥ずかしさをかなぐり捨て、他人の迷惑省みず輪の中心付近で活動できれば楽なのでしょうけれど、なかなかそうは行いない。
仕方ない「mark=タバコをくゆらせる人」という図でしばらくごまかすか....ということになるわけです。

沈黙の時間を埋めるために吸う 開始1.5時間で10本
場がなじみ、皆さん「近況の話」というバトンの交換が一巡した頃、フッと「沈黙の時間」が流れることないですか? 時間にすれば1〜2秒のことなのですが、急にその場がシーンとなるような...(笑)
目が「ヤバッ!!」という形に変形し、目線が流れ、目に入るのはタバコ。
なぜかライターの短い合唱が始まったりします(笑)

間合いを計るために吸う 開始2時間 15本
かなり酔ってきて、恥ずかしい話や面白い話、それに対する突っ込みが始まり、場は盛況をかもし出す。誰かの言葉が終わる寸前に、他の人の言葉が重なりだし、笑声の輪唱が響き続ける。
こうなると、皆止まりません。自分の話をしたくてしたくて。普段抑圧している精神が「解き放なたれたくててウズウズ」しちゃう。
タバコに火をつけるライターの音がキッカケをくれたりします。
タバコ吸ったら、何か話ししたい、何か突っ込みたい証拠、みたいな状況になっています。

満足して吸う 開始2.5時間 20本
腹もふくれ、そこそこ飲んで酔ってくる。もう食べられません、呑めません。胃が小休止を主張しだす。そこで吸うのが「満足感」の象徴としてタバコ。

ここで終われれば良いのですが、二次会に行ってしまう。さらに10本〜20本が文字通り煙と化していく。



次の日はもうゲロゲロ(笑)
呑みすぎて、念のためにと少しトイレで吐いておいたりした日にゃ、喉は胃液の香りが残ったヤスリと化し、胃腸は下痢状態、酒の抜け切れていない頭はぼんやりしてしまっているし...

昔、十二指腸潰瘍でタバコを止めていた時期....といっても呑んではいましたが、こういう悲惨な「『やってもうた!!!』を感じる朝」ってなかったんですよね。
どうも私の場合、二日酔いって、お酒の呑みすぎよりも、タバコの吸いすぎによる原因が強いようなんですね。


しかも、こうやって分析していくと、呑みながらのタバコって、私の場合精神がまだ発達していない証なんですねぇ。


早く大人になりたぁ〜い!!(苦笑)