距離感
「KISS AND TELL」のIRMAさんのブログで、例の人間性バトンの中の「自分の好きな人間性を5つ述べよ」の回答として次の一言がありました。
人との距離感が上手に保てる
ウンウン! って納得しません?
「人はコミュニケーションする生き物」だから上手に距離感をもてるか否かで、生活が変わっちゃう。
距離をあけすぎると「引きこもり」になっちゃうし。
かと言って。
距離を詰めすぎると「うるさい奴」と嫌われるし。
ん〜、本当難しいものです。
この距離感を文字通りの「体と体の密着度」で考えてみますと....
心理学+私の経験からいくと、
[心理的密着距離 (昼間)]
会った覚えはあるが誰だか特定できない場合
a.識別する距離 3m 以内=接触せずに済む限界点
発見! 「接近大遭遇ぅ〜」
例えば、路上で「誰だっけナァ〜、会ったことが...」と思う人に出くわした。しかし、そう思っていられるのは3mの距離まで。
それ以前に想いだせない、イヤな予感がすればその場を立ち去るのが懸命。大抵、予感は的中するものだから(笑)
b.意識する距離 80cm以内=共通する話題が必要
回避不能 「平和裏に」
もしも、立ち去れずに近づいてしまったら仕方ありません。挨拶だけで逃げ切りたいけれど、何かいわれたら困っちゃう。
ええ〜い、「あっ、お久しぶりです。最近暖かくなりましたねぇ〜。すみません、いま急いでいるので後日!!」とかって言って、すれ違っちゃえ!!
c.注意する距離 60cm以内=共通する興味が必要
緊急会話 「顔色うかがい必要」
もうここまで来ると、いけません。何か本当に喋らなくては...「キドニタテカケシ衣食住」だけでなく、前回会ったパーティのことや仕事の進捗度など、相手との個別の共通関係のことを話さなくては...
「さて、この人誰だっけ?」という顔ができない!!(笑)
d.警戒する距離 20cm以内=信頼関係必要
絶体絶命 「しらばっくれる」
ここまで来て、相手が判別できないと顔から血の気が引いてきます。
「その後、彼女とはどうなの?」って相手が親しげに肩に手を掛けてきそう...
「あ〜ん、誰だがまだ分からない...」「どの彼女のこと?どこまで話したんだろう??」「こんなことならもっと早く『どなたでしたっけ?』って聞けば良かった...」と後悔してももう遅い。
「いやぁ〜、ボチボチですわぁ〜」って言いながら逃げるタイミングを測るしか手が....(苦笑)
と、まぁこんな感じですかね?(笑)
ここまでは、体の距離。これだけで終われば良いのですが、コミュニケーションにはもっと違った距離がある様ですね。
言葉の距離感
そう、難しいのはこれなんですよね。
以前から「言葉の距離感」は適度に保たねばならないと思っていたのですが、『人によって』この距離感って違いますよね、当然。
親しい・親しくない、同年代・年下・年上、同性・異性....
当然言葉の使い方も変わりますよね。
敬語→敬語まじり→日常言葉→ぶっちゃけ....
ところが、それだけでなく『地域によって』違うということも経験しました。
ガキの頃から、妙に標準語を使う私でしたが、年をとるとともに「関西弁」「大阪弁」を会話に使う傾向が増えています。
大阪弁ではよく「二重表現」を使います。
レストランで食事をした東京と大阪の二人
東京人:「さて、じゃ出ますか?」
大阪人:「勘定書きあらへんけどぉ〜?」
東:「さっきウエイトレスさんがその辺りに置いたはずですけれど...」
大:「あっ、ちゃうちゃう。ごめんごめん、あったあったぁ。ネエチャンネエチャン!!」
東:[なんか失礼な人...]
関東の人には関西人は「ズケズケ」(これも大阪弁(笑))とケアなしで喋る人とうつるでしょう。
しかし、大阪人は「心を許して話そうとしている」感覚があります。
これが方言のギャップなのですが、それだけではないことがわかりました。
例え標準語を話ししていたとしても、大阪人の意味合いは「近しく接しよう」とという心が働いているのです。
心の中では「方言で思考」している訳ですから。
全ての人が東京人・大阪人のようだとは言えないかも知れませんが、こういう傾向があるのではないでしょうか?
もちろんその他の、各人の置かれている環境、心理状態にもよりますが、色々なファクターが混ざるので、分かりにくい。疲れる(笑)
私の場合もコレがあります。
東日本の生まれの人でも何度かお会いすると、大阪弁で考えている自分がいる。大阪弁を交えて話している自分がいる。
「あっ、近しい友達付き合いだナァ〜」と勘違いすると、なんだかミスマッチを含んだ会話になってギクシャクしたり。
コミュニケーションって難しいですわぁ〜
[大阪弁の意味は「だからぁ、私が変なこと言っても許してね」が含まれる?(苦笑)]