時代の移行

経験する楽しさから、聞く楽しさへ
 

初めてではなかったろうか。
日本に電話した際に、娘と語り合った。
18日間の短期間だったが、娘がホームステイ先のオーストラリアから帰ってきたのだ。

17歳で初めて親以外の人達と18日間、しかも海外で過ごした彼女。
行くまでは色々と難色を示し親をハラハラさせたが、行ってみれば正に杞憂でしかなかった。

彼女の兄と同い年のホームステイ先の夫婦。
旦那は私と同じく趣味でバンドをやっており、ドラムスからギター・キーボードまで一人でバンド楽器をこなす人。
第一子を身ごもっていながらも、そのバンド演奏で踊るファンキーな奥さん。
そのご両親の家にもご厄介になった様で、訪問する先々から「日本に帰らず、このままオーストラリアにいなさいよ!!」と本当の家族の様な歓迎を受けた。
まだまだ英語能力としては未熟ながらも、精一杯コミュニケーションをして実に多くのことを学んだ様だ。
TVの「ウルルン滞在記」の様だったと、はしゃいだ声。

そんなことを電話口で楽しく語る彼女。

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17年間...その成長の間の14年間の姿を私は知らない。
単身赴任として出稼ぎであったのだ。

よくよく考えれば電話ではあったが、こんなに娘と話しをしたのは初めてのこと。知らない間にこれほど成長していたことを嬉しく思う。

そして同時に「わたしの時代から彼(女)達の時代に移行しつつあること」を感じる。

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30年前から、私も目を輝かせて海外に旅立った。
最初はフィリピン。そしてアメリカ西海岸、ハワイ、東南アジア諸国
見るもの触れるものが全て見新しく、むき出しの好奇心で貪欲に自分流に消化していったものだ。
日本に帰っても春先の陽光にロサンゼルスの空を、突然の夕立にハワイを思い出したものである。そのたびに「どこにいても心はすきな土地に飛ぶことができる」そう信じていた。
そんな気持ちでニコニコしている私を周囲は「ちょっと、行っちゃってる??」と勘違いしたことだろう。(苦笑)

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娘の話の仲で、昔の私が感じた「驚き」や「あこがれ」「日本との差異」を見出していることに少し誇らしさを覚える。

しかし、その傍らでは「時代が転移行」しつつあることも痛感する。
もちろん、いまだに感受性は人一倍あると自負しているものの、感受性が昔と比べて鈍化していることは否めない。
「原始的な興味」「原始的な疑問」をいつのまにか、当たり前のこととして足元に埋め、生きている自分を感じる。

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彼女が物心ついた3歳から6歳の3年間、一緒に暮らした。
思い起こせば彼女のことをほとんど知らないと言ってもいいだろう。
一緒に住みはじめた頃は「どこかの知らないオジサン??」と私のヒザの上に座ることを拒否していた彼女。
どんなことに喜び、泣き、小さな心が揺れてきたのかすら知らない。

先日の会話が嬉しくもあり、また切なくもある。

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いずれにせよ、過ぎ去った年は戻ってこない。
憂うのは私の主義ではない。

ただ、もう一度彼女と同じ視線で物事を感じ話あえることができる様になったのは確かだ。

親として負けていられないかな?(笑)

もう一度子供同じ心・目で色んなことを感じていきたいものだ。

2005年も、もうじき終わる。
 

私にとって、娘との10分ほどの会話でしかなかったが、実に多くのことを再発見させてくれた。
この一年、実に多くの恐ろしい問題が発生したものの、それもまた親としての勉強の道程でしかないのだ。学べることはよきこと。
うん、今年もまんざら悪くはなかったぞ。

感謝。