限界は?!.

marktheshadow2005-12-29

東京マラソン...少し古いネタだか...
 

高橋尚子選手が見事復活勝利を遂げた試合を、たまたま日本に帰国していた時にTVで見た。
彼女は確かにすごい。しかし、その時私の脳細胞を刺激したのは彼女の勇姿よりも、解説の瀬古利彦氏の言葉だ。
「一生の間にマラソンで走れる距離は決まっている」
往年のアスリートであり、SB食品陸上部の監督・日本陸連の理事など要職を務めておられる方の言葉ゆえ、心に刺さった。
「どんなに偉大なマラソンランナーであれ、一生のうちに選手として走れる距離は自ずと決まっている」「それ以上の距離を走ろうにも筋肉や関節がもたない」というのだ。
衝撃的な言葉に頭をガツンとやられながら、画面を見つめつづけた。
「高橋選手は2年間走っていない、だからこそ今年これだけの走りができる」「スランプの2年間にムリに走っていないから、まだまだ走れる」


アスリートは他の選手との競争以前に、自分の心とのせめぎ合いがまずあるのだ
 

選手と名が付く限り、誰もがいつも100%の力で全てのチャンスに勝ちたいのが本音だろう。しかし、全てのチャンスに全力を尽くしてしまうと、それだけで一生分を消耗してしまう。自分の心に対峙して、絶対勝てる試合のみに賭ける。これが一流の選手なのだろう。
その意味では高橋尚子選手は文字通りのアスリートといえるだろう。
スケート界でいま話題になっている「オリンピック15歳問題」。
これも別の角度から考えてみるのも興味深いではないだろうか?!

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少し話しは変わるが昔、私の上司が行った言葉も興味深い。

「一勝一敗で良い」
 

...年度末に必ず彼はそう言って、部下をねぎらった。予算に対して今年は達成できなくとも良い。ただし来年は全力でやろう、というのだ。
毎年、成功を収めるのはなかなか難しいこと。連勝を続けることにより、「楽しい仕事」が辛くなってしまう。
辛くなった瞬間から「辛さのスパイラル」に落ち込み、日常が非現実的な裏工作の連続となる。
新聞で色んなニュースを見るたびに「この人ヤバイな...勝ち続けなければならない、心の自転車操業状態に陥っている」と思う人がいる。
数ヶ月後大きな失敗を起こし再起不能になる。
欠陥マンション問題もそういうことなのかも知れない。
生きるために少し悪事に手を染めたばかりに、次から次へと悪事の連鎖反応がおき、気がつけば戻ることができない泥沼状態になっていた。
バブル崩壊の時の失敗組の人々にも言える。

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犬の年齢は人間の7倍で経過すると言う。
 

彼らは、通常10年生きると長寿といわれる。
おそらく一生の間に刻む心臓の鼓動が決まっているのだろう。
新陳代謝のリズムが人間と異なる犬にとって、飼い主に褒められる・えさをもらう...全ての日常が楽しいことなのだろう。
その楽しさを表現するために、走り回ったりジャンプしてみたり。
寒い冬であっても、早い心臓の鼓動と熱気を舌を出してなんとか沈めようとする。
自身の命をけずりながら、飼い主と意思疎通をしようというのだ。
実にけなげだ。

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2005年ももう数日で終わる。
今年は限界に挑戦した年であっただろうか?
それとも余力を貯めるための一休みの一年であっただろうか?
または無駄に生きた一年であっただろうか?

ムリはしてはいけないが、楽しく挑戦できたとしたら幸せなことだ。

来年はどうしようか?

残る数日で考えてみたい。
いずれにせよ、余裕のある生き方が必要な様だ。
その点については、私は大丈夫だろう(笑)