いつもと同じ毎日

本当の幸せに鈍感になっていく人間
 

そう思うのです。
街角でKOされたときにも「何もなく、たわいない笑いがある毎日が本当の幸せなのだ」...と久々に気づきながらも、どこかでまた鈍感になっていく自分の心。

「非日常的現実」が襲いかかってはじめて、人間は「結構、昨日までの人生ってよかったよなぁ」なんて思う。
たとえ重大犯罪を犯した人でさえ、そう思うのだろう。

私はこうした「非日常的問題」が降りかかった時、こう思うことにしています。

  • なぜこの問題がいま起こる必要があるのか?
  • この問題、私にとって悟るべき命題は何なのか?

私は弱い人間だから、問題をそのまま抱え続けていることができません。
心が弱いと死にたくなってしまうでしょ?
からといって上記の様なことを考えて現実逃避しようと思ってはいません。「どうせ、くぐらねばならない試練なら、自分なりの目標・考えを持って前向きに進みたい」と思うのです。

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20年前のある数ヶ月に、家族離散、夜逃げ(結局問題なかったが)、父との決別、家族の立て直し...そして、家をなんとか取得し、父の死去。その他にも30〜40代で考えられるイベントのほとんどを経験してきました。
その時にも思ったのです。
「どういうことを悟ることが大事なのか??」と。

いまでは笑い話の様にお話することもできる...いえいえ、いつか本にしようかと思うほど、おかしな数ヶ月〜数年だったのです。

いまになって思えば、答えは「人間として強くなれ!!」ということだったのでしょうね。

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そして20年後の今年、40〜50代で起こりうる問題が発生しています。
逃げない。
何を得れるのか辛いだろうが、楽しむぐらいの気持ちでいこう。
そう思います。

だって、私が苦い顔してたって似合わないですものね!!(笑)

非日常的な問題の中身、さすがに具体的には書けません(苦笑)
お許し下さい。

しかし、同じように深刻に悩んでらっしゃる方、ここにも同じような人間がいます。一人で落ち込まないで、一歩ずつ歩いていきましょう!!

終わらない闇は絶対にないのですから!!

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すみません、今日は自分のためのブログ内容になってしまいました。
今日が私にとっての新しいマイルストーン
その記録として、どうしても書いておきたかったのです。