変わらないもの

世の中に不変なものってあるのだろうか?
 

ある仕事を一生懸命やって、改善を起こす。
これって、ある種仕事に生きるもの...生活の糧を得る働き手だけでなく、主婦・主夫の方や、学業にいそしむ子供たち...全ての人に言える「快感」ではないかと思います。
いままで、どうしてもうまく行かなかった物事が、「個人の思惑と行動力」で明らかに変化を起こし、結果が改善される。
楽しいですよね。

しかし、こういう改善も一方向から見た際には素晴らしいことであっても、他から見れば他方法論もあるわけです。

その時には最高の改善≠永久的な改善
 とはならないのです。

昔、ある会社で改善を行いました。その実績を買われて子会社の改革に出向したのですが...3年経って親会社に戻ってみると、改善したものが変わっている。しかも元の問題含みの方向に。
違う形の改善に進んでいれば、私のしたことは「敷石」に変化しただけで問題ないですし、全く変わっていたとしてもそれは「時流」の変化ということで納得できるのですが...
改悪...「面倒だから」「そんなに(見た目)差異ないから」色んな理由で元に戻そうとする力も発生する様です。 

私の個人的な感覚としては、
「何がしかの仕組みなり、体制を改革しようとする力を100」とすると

  1. 改革は100
  2. 持続するには80
  3. それ以下になると改悪の方向に進む

結果的に改革をし続ける事が、持続の早道になる。

                                                    • -

まぁ、仕事の話は置いておいて...っと

結局「変わらないもの」って世の中に余りないのではないか? ということが言いたいだけなんですよね。(相変わらず長い前置きだ...(笑))

モノとして存在するものは「エントロピーの法則」ではないけれど、ゼロに戻ろうとする。自然の世界では、全ての存在物はいつか崩壊する。
古い神社仏閣はいうに及ばず、路に落ちている石であれ。
仕事って目に見えないけれど、何がしかの創造をするわけですから、維持しなければなくなっていく。
世界のGM(ゼネラルモータース)・フォードがトヨタに追いつかれる前に、自己崩壊の崖っぷちに経っているのがいい例です。
トヨタであっても、維持に入れば崖がドンドン近づいてくるはずです。

では心はどうなんでしょうか?

基本的な考え方は変わらない...といいたいものの、時代・環境が変われば変わらざるを得ない部分がある。
『善悪』っていう言葉は不変(?)と一応定義するとしても、その実際のイメージは変化しているのではないでしょうか?
言葉の正しい意味として「・・・法廷における判決で決まる場合がある」なんて、辞書に載る日が来るのではないでしょうか?
確かに日本語にしろ、英語や他の外国語にしろ「辞書の内容は毎年変更されている」のが事実。言葉が変われば、意識も変わる。意識が変われば考え方も変わる。

こんなこと考えていると悲しくなっちゃいますよね。

でも一つだけ信じれるのは「本能」の存在。
恐怖・恐れなどを察知し、回避しようとする能力。
時代や環境が変われば、もちろん「恐怖や恐れ」の対象も変わってくるでしょう。しかし、それをなんとか回避・収束・根絶させようとする本能が有る限り、世の中そう簡単には最悪の状態にならないのではないかと...

パンドラの箱」の話は、形は変われど未来永劫綴られていくのではないかと思います。
アナタはどう思います?

                                                            • -

なんだか、昨日から「禅問答ブログ」にかわっちゃっていますね?
これも秋のせい??(苦笑)