いまさらながら...

出身学校関係のWSを覗いていて分かったことがある


ほとんど大学に行ってなかったという事実!!(苦笑)


ヒマつぶしに学校関係を検索していたら、色んなWSあるわけですよ。
で、自分の卒業した大学関係のWSをいくつかチェックしていたら...自分に関係のあるキーワードが全く見つからない。。。(苦笑)


学業をまじめにした訳でもなければ、体育系・文科系のクラブに属していた訳でもない。
なんとなく入学して、なんとなくテストに受かり、なんとなく就職もせずに卒業して...


これって今から考えれば、もったいない4年間の過ごし方だった!!!
と、思うわけですよ。
もちろん当時は友達も多くバイトも掛け持ちで、ガールフレンドと遊ぶのも忙しくて...
当時は、いわゆる「普通の大学生活」を送り、大学生活を満喫していると思っていたのです。
しかし、友達の名前もほとんど覚えていません。いま会って分かるかどうかも...
卒業アルバムも買っていません。
当時、「アルバムを買わないことが後々寂しいことになるか?」などと感じていたのですが、それがいま逆説的な現実となった訳です。


つまり、卒業アルバムを買う買わないという問題ではなく、「卒業アルバムが必要と思えるほどの大学生活をしなかった」ことが問題だったのですね。
甲南という大学を卒業しながら、他の同窓生と「共有できる記憶が余りにない」のですから。

予断になりますが....

自分なりに香港を去ることの寂しさを分析してみると、「共有できる記憶が多い」のにも関わらず、将来香港のお友達も出入りが発生し「実質的に共有し続けることが難しくなるのではないか?」ということなのかと思うのですよ。
もちろん、ネット上では皆さんどこに散り散りになってもお付き合いは続いていくわけですが、お酒なんぞを酌み交わしながら直接お話する機会はほとんどなくなっていくだろうと思われる。香港に戻ってくればまたそういう付き合いのできる人も残っているでしょうけれど、私が居ない空白期間の間にその方達の間で「また新しい記憶」がイベント的に発生する。
よっぽど足繁くネット上で内容把握するか、実際に香港に遊びに来ないと入れない話題が増える。


比較してみると、学生時代の思い出というものは、皆スタート=入学年度で違っても滞在期間はほぼ同じ。たまに長めに学ばれる方もいらっしゃいますが...(笑)
ですから、違う入学年度の方達とも互いの「過去の数年間」の比較や逸話で楽しむことができるわけです。
ところが香港での生活の様に、現在進行形で進んでいく記憶は、輪から抜けたが最後どんどん引き離れていく。
そして、「あ〜、昔そんな人がいたね」なんて自分自身が皆の昔話となってしまうこともある。っていうことなんですよねぇ。
そういう寂しさを今から感じているのでしょうかね。
なおきんさんのブログに書かれていた「ストレンジャー」や「旅人」になる寂しさや怖さっていうんでしょうか。


話は戻って、学生時代。
大学時代は確かに「記憶喪失」にも似た感があるものの、高校時代は鮮明に覚えています。甲南って学校は基本的に中・高一貫教育ですから、ほとんど全ての友達が6年間一緒に過ごす訳です。ひとクラス40人強×4クラス×6学年、1学年180人弱が6年間一緒に過ごし、学校全体で1000人強という小さな学校。ですから、学生も上下を越えて仲がよくなるわけです。


「関西の成蹊? 成城?」などと言われる、いわゆるお坊ちゃん学校ですが、実際は、一部「由緒正しいお金持ち」と「最近裕福になられたお金持ち」のご子息がいるぐらいで一般的な家庭のガキが多い学校。 学校側も「軟弱な学校」というイメージを払拭するめためか、我々が在学していた当時はなかなか厳しい先生が多く、よく殴られました。[まぁ、いまとなれば良い思いでですが。]
誰かに殴られれば、その反動で誰かを殴りたくなるのも真理(笑)。他校との団体戦(ケンカ)も日常茶飯事。
先生に隠れて悪さも一杯やってきました。(苦笑)
同学年180人や、学校全体1000人が一同に介してバカをやるわけですから強烈な思い出になっちゃう。

例えば...
いまだから書ける内容だけね....
(いまもって書けない内容が一杯なんですよ(苦笑))

先輩の恐持て教師の威光を借りて、生徒操縦しようとする新米教師がいました。「教師なら自分の体と思いで生徒にぶつからんかぁ!!」と生徒の非難が集中。「懲らしめてやろう!!」と休み時間、タバコを吸う生徒が学年から集まりある教室内で喫煙。
新米教師が授業のために入ってくると、クラスに生徒はおらずモウモウたる煙だけが充満している。
「こりゃ一大事だ!!」と先輩恐持て教師に御忠信に走る新米教師。
その間に全員で煙を追い出し、何事も無かったかの様に生徒は着席。

「火事はどこだ!!」と踏み込んできた恐持て教師は平然としたクラスを見てキョトンとします。
その後で立場のない新米教師は目に涙を溜めて...

みたいなね(苦笑)

悪かった。
純真に悪かった。(笑)


卒業後、30年経過したいまでもこんな話題に事欠かないし、話するほどにその当時知らなかったことも一杯出てくる。


そういう意味では私の中での「共通の記憶」という概念は高校時代にトドメをさしている感があります。
「共に生きていた6年」という期間を固定された記憶が強烈すぎたのかも知れません。
皆さんもそうじゃないですか?


こういう「昔話」をしだすと人間は老化したと言われますが、私の精神年齢が10代でとまってしまっていて(笑)、ずっとこんな過去の面白いエピソードを思い出し対比しながら、また新しい面白い生き方を模索している。


10代の強烈な記憶が現在も原動力となっているのも事実なんですよね。


普段は会えない人達、だけれど原動力を与えてくれた先生や友達。
同じ様に香港で出会えた多くのお友達とも、こういう仲が続いていくことを願うばかりです。



記憶の端っこでもいいから忘れないでね!!