喜怒哀楽

marktheshadow2005-06-25

【言葉はどこに....】
   

毎日私達はどれだけの言葉を話し、どれだけの言葉を頭の中に思い描き生きているのでしよう。
考える、書く、聞く、受取る、話す、読む....デジタルの世界で換算すれば、途方もない文字数になるのでしょうね。そのうえ、電波や印刷物で送られる言葉という情報。。。

◆もしも、口から発せられた言葉が「そのまま宙に漂う世界」が有るとすると、どうなるのでしょう。
 

太古の昔から発せられた言葉で海は一杯になり、太陽に熱せられた言葉が空気中に蒸発し、上空で言葉の雲を形成する。言葉のジャンルにより、雲もいくつかにグルーピングされて「楽しい虹色の雲」「悲しい灰色の雲」「悲しい赤い雲」「怒りが充満した真っ黒い雲」などができるのでしょう。
楽天的に考える国はいつも明るい色の雲に覆われ、悲観的に考える国はモノトーンの暗い雲に覆われるのでしょう。
ハワイあたりでは燦々と輝く南国の太陽と、朝夕に降る楽観的で楽しい言葉のスコールに観光客は子供の様に楽しみストレスを発散していくのでしょう。
そして帰国すると日中「怒りに彩られた他人の非難」が飛び交い、夕方には「ため息まじりの言葉」で夕焼けも天の河もドス黒くしか見えない。子供さえ無邪気な心が持てず、疑心暗鬼な毎日と対座している内に対人恐怖症となっていく。

言葉が空気中に留まらない別の並行する宇宙では北部に文化が栄えるのに、この宇宙では赤道付近に文化が栄えていく。赤道以外の土地では、積み重なった雪と言葉の重みで家屋が崩壊していく。落ちた衝撃で言葉が音として空気中を駆け巡り、人々の心を震撼させる。。。


言葉が蒸発していく宇宙に生まれて良かったですね。(笑)

◆言葉は蒸発していくが
 

現実には無くなっていくわけではないですよね。上記の空想じゃないけれど、ある言葉は人を楽しませたり、悲しませたり、喜ばせたり、怒らせたり....喜怒哀楽という心に返還され、行動の原資となりその行動は記憶に刻まれる。 言葉もある種エネルギーなのです。言葉のエネルギーが人を突き動かし、感動や憎しみに返還され、その記憶からまた新しい言葉がつむぎ出される.....永遠に減衰しないエネルギーの様です。

そう考えると上記の構想は、まんざら絵空事とは言えないのかも知れませんね。
いつも暴言を吐いていると、その暴言で自分自身が包まれ、最終的には弱っていく。
いつも楽しい気持ちや喜びの気持ちで物事を考え、話し、行動できればベストなんでしょうけれど、なかなかそういう毎日を過ごせないものですよね。
ならばせめて、「喜怒哀楽」のバランスの取れた日々を送れればいいのでしょう。人はどうしても心の一面しか見せない人がいます。もっと気楽になればいいのですよね。

香港で過ごして判ったことは、『現地の人と本当に意思疎通しようとすると「うわべ」だけの付き合いでは何も通じない』、自分の考え方・生きてきた内容・家族のこと・いまの悩みや夢・もさらけ出し、いえ....全てさらけ出せなくてもいいと思います。最低限、「喜怒哀楽」をはっきり態度に表す。これが大切なんだと思います。

  • 指示通り仕事がうまくできたね「ほら、やったじゃん!!」(笑)
  • 勝手になんでそんなことしたの「誰が責任取るの?」(怒)
  • 親族に不幸があったの?!「大変らしいね。早く帰ってあげなさい」(哀)
  • 苦労が実った、さぁ乾杯!!「みんなのお陰!!これからも頑張ろうね」(楽)

言葉も大事ですが、その時の表情やしぐさも大事なんですよね。
人と人が生活する中で、一番大事なのは「生き生きとした素直な表情」なのかも知れません。



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